『スペイン道中記2009』
1日目 広島ギタースクール終了後その日の22時30分夜行バスで広島を発ち翌日関西空港からフィンランド航空にてヘルシンキ経由マドリッドへ入った。日本〜ヘルシンキ 約10時間 ヘルシンキ〜マドリッド 約4時間半自宅からマドリッドまで待ち時間等含め約30時間・・・・疲れた。 今回は夜行バスでの移動があり、しかも超格安を使ったらバスがボロイ・・・座席は狭いは、リクライニングもままならないわで・・疲れ倍増。 機内では何もすることも無いし、前夜までのスクールの疲れをとるべくただただ爆睡していた。 乗り継ぎのヘルシンキでの出来事。乗り継ぎ手荷物の検査の際、検査官が手荷物のなかからなにやら取り出し「これはなんですか?」かみさんが関空でマドリッドにて迎えにきてくれる日本人の友人へ買った「羊羹」を手に持っている。 「友人へのお土産で日本の昔からのお菓子です」検査官がしばらく考えまたX線装置へ通す。 そして「包装を開けてください」「えっ!おみやげなので・・」「開けてください」かみさんがしぶしぶ包装紙を破り中身をとりだした。羊羹なので紙箱の中にアルミ箔で密閉された状態で入っている。 それをみて「アルミ箔も破って中身を出してください」「それではおみやげにならない・・」「開けてください」しょうがなくかみさんが隅を破って羊羹がむきだしになった部分を検査官に見せて言った「食べてみます?おいしいですよ?」「いいです」といってその羊羹を持ち、他の検査官に見せなにやら相談している。 そして・・「食べてみてください」「えっ!おみやげが・・・」と絶句したがしょうがなくかみさんが一口食べてみせた。 それをしばらく観察後検査官が「どうぞ」・・・かくして開封されてすこしかじられた羊羹が友人へのみやげとなってしまった。 マドリッドへ着き、出迎えてくれた友人に事情を説明して受け取っていただいた。その後タクシーでネットで予約していたホテルへ行き荷物を置き、その友人と近くのレストラン・バルとはしごして、上手いものを堪能し、これからの旅の情報を手にいれた。 ちなみに友人は日本人の女性だがスペインへ来て20年以上になるツアーコンダクターなので非常に頼れる存在である。 今日はセゴビアへ行く。その友人に聞いた子豚の丸焼きが一番美味しい店で食事することが楽しみ。 村治佳織も立ち寄ったバル「シャンピニオン」 BAR 「シャンピニオン」の入り口 2日目 昨日空港に着きホテルに移動して荷物を置いたその足で夜遅く(12時頃)まで飲んでいたが、朝は6時頃に目がさめた。 疲れているのだろうが時差で身体がうまく反応できていないようだ。朝はゆっくりして9時頃ホテルを出発し、地下鉄の最寄駅ソルよりセゴビア行きのバスがあるプリンシペピオ駅まで地下鉄で移動し、バスチケット売り場やバス発車場を探し当て10時のバスに乗り込みセゴビアへ。 約1時間20分で到着し、その後延々と歩き続けアルカサル、カテドラル、水道橋と見て回った。アルカサルの景観が一番良いといわれる丘の下のラベラクルス教会まで歩き、城を見上げる。スペインの建造物は何でもそうだが、規模が大きい。圧倒されるほどの規模と美しさがある。 アルカサルまで戻り中を見物し、その後カテドラルと水道橋を見て時間をみると3時過ぎ。3時間以上休まず坂を登ったり下ったりしていた。 お腹も空いたので、楽しみにしていた子豚の丸焼きを友人から聞いた店に食べにいった。友人が言うには、ガイドブックに載っている有名とされる店は味が落ちているそうだ。私は、食べ比べたわけではないのでそこはわからないが、教えられた店は本当に美味しかった。 友人にすすめられていた、子羊と子豚を食べたが、日本では味わえないと思えるほど絶品だった。もっともそんな店にしょっちゅう行っているわけでも身分でもないが・・・ビールも飲みほろ酔いかげんでマドリッド行きのバスに乗り、寝込んでいたらあっという間にマドリッドだった。 夜はスペイン在住のギタリストM.T氏と会食するため8時に待ち合わせにいった。M.T氏は奥さんをスペイン人に持つ日本人で、もう長くスペインで活動を続けておられる人で5年前に私がスペインに来たときレッスンをしてもらったり、自宅へ遊びに行かせていただいたりした仲である。 聞けば先週まで帰国していて、私と同じ日つまり昨日スペインに戻ってきたらしい。日本ではレコーディング等の仕事もあったそうである。 ホテルの近くのバルでひとしきり話をして、美味しいものを食べてその後マヨール広場から王宮など夜の散歩を楽しんだ。明日行く予定のアランフェスに車で連れて行っていただけることになり、また希望だったロドリーゴの墓も一緒に探していただけることになった。うれしいかぎりである。 また一つ気になっていたことで、バルセロナ在住のギタリストS.O氏にもお会いしたかったのだが、今回連絡がつき、お会いすることが出来そうになったのでM.T氏には感謝感謝である。明日は、アランフェス観光。 白雪姫のモデル城 セゴビア アルカサル セゴビア カテドラル セゴビア 水道橋 子豚と子羊の丸焼き(各1人前ピース) 3日目 今日は、昨日お会いしたギタリストのM.T氏に車でアランフェスまで連れて行っていただいた。 10時30分に待ち合わせの駅まで地下鉄で行きそこから車に乗り込んでアランフェスに直行した。 M.T氏の息子(次男)さんも御一緒に4人での観光となった。息子さんとは5年ぶりに会ったが5年の月日の流れを感じさせるほどにたくましく育った息子さんになっていた。 希望していたホアキンロドリーゴの墓はあらかじめM.T氏が墓地の位置を調べてくれていて、めぼしをつけた墓地に行きそこで近くにいた人にたずねるとそこにロドリーゴの墓があることがわかった。 当初自力で行くことを考えていて、いろいろなシュミレーションをしていたがはたして自力で来れたかどうかは?である。 その墓は墓地の入り口から入っていった真正面にひときわ大きく建っていた。外国の墓地はよく映画等ででてくるようないわゆる石棺の上に十字架が立っているものがほとんどだが、ロドリーゴの墓はギターを模したものでそこにはアランフェス協奏曲の2楽章のメロディーが刻み込まれている。 奥様と一緒に埋葬されており、石棺にはMI VASO ES PEQUENO PERO BEBO EN MI VASO と刻まれている。 本当にこれてよかったと思った瞬間だった。その後アランフェス王宮をみた後、美味しい子羊を食べに行こうということになり、昨日も食べたがおいしい物は何回でもということで、連れて行ってもらうことにした。昨日のセゴビアの近くだそうで車で2時間ちかく走りペドラーサという町についた。 子羊はもちろん美味しかったが、その町がなんともいえずすばらしい町であった。小さな台地の上にその町はあり、町の入り口は13世紀に作られた幅が車一台がやっと通過できる石造りの門がありその門の中に入るとすべてが13世紀の中世そのままに残っておりまるでタイムスリップしたかのような錯覚におちいるような町であった。 しかも今日は祭りとあって町の真中にある広場が急造の闘牛場になっておりもうすぐ始まるのだろう周囲はその台地が沈みそうなくらいの多くの人が酒を酌み交わしながら談笑している。私達のような部外者はこれ以上その場にいられないような雰囲気さえある。そのちいさな台地にさらに車がつめかけてきておりこれ以上いると車が移動できなくなりそうなので帰ることとした。普通の観光旅行では絶対に味わえない体験であった。すばらしい!!! ホテルに帰る途中市内にある「アンドレスセゴビア」公園に連れて行ってもらいセゴビアの胸像とともに写真を撮った。これもガイドブックにはないがギター好きにはたまらなく嬉しい事柄である。 本当にM.T氏には感謝である。明日はバレンシアに移動 M.T氏とともにアランフェス ロドリーゴの墓にて アランフェス協奏曲2楽章が掘り込まれた墓石 ロドリーゴの石棺 アランフェス宮殿 ペドラーサの街の入り口(街の出入りはこの門しかない) 中世へタイムスリップしたかのようなペドラーサの街 ペドラーサでの子羊の丸焼き ペドラーサの古城 アンドレスセゴビア公園のセゴビア胸像 4日目 今日はバレンシアへ移動した。朝7時にチェックアウトし、地下鉄で国鉄アトーチャ駅へ行き8時発のバレンシア行きに乗った。 チケットは日本でWEBより予約した控えをプリントアウトした紙だけがたよりだったので、はたしてそれでうまく乗れるかどうか心配だった。そのため昨日朝アトーチャ駅に下見がてら情報収集にいっていたおかげでわりと簡単に改札を抜けることができた。 しかしどのホームにいつ目当ての電車が入ってくるかはわからず、電車に乗り込むまでは結構ひやひや物であった。とにかく無事電車に乗り込み3時間20分後バレンシア駅に降り立つことができた。 すぐに地下鉄を乗り継いでホテルまで行きチェックインをすませて、市内の主な観光スポットに出かけていった。 博物館、市場、カテドラル、火祭り博物館等等・・・途中バスに乗ったが、行き先や乗り場がよくわからずいったりきたり・・・なんとか一通り巡り、ホテルに帰った時間は20時30分。 ホテルは旧市街地から約3キロくらい南の地中海ビーチ沿いにあり、窓の外は砂浜が広がりその先は地中海が広がる絶好の場所にある。今21時40分であるが、スペインでは今ごろから夕食タイムである。 私達も、そろそろビーチ脇にあるレストランへ行きパエージャでも食べようかと・・・ 明日は午前中ゆっくりし(かみさんは泳ぐらしい・・・)午後からバルセロナへ移動 バレンシア陶器博物館でみかけた19世紀ギター 5日目 朝、窓から見える地中海水平線から登る朝日がすばらしい。日が昇ってしばらくして、砂浜を散歩する。 私よりはるかに年上であろう男性やご婦人が水着姿で砂浜に寝そべったり、水際を散歩したいたりと、日本ではみられない光景が普通として周りに溶け込んでいる。かみさんはしばらく泳いでいたが、私は水が苦手なので砂浜で周りの様子をウオッチングすることとした。 昼前に砂浜からホテルに戻り、荷物をまとめてバルセロナへ移動するためホテルを後にした。電車に乗って約3時間後にバルセロナへ到着。 その足ですぐホテルまで地下鉄で移動し、チェックイン後すぐに町の散策に出かけた。今日はカタルーニャの日とかでバルセロナは休日だそうで、私達のホテルのすぐそばにある凱旋門広場ではすでに大勢の人たちがあつまりカタルーニャの旗?を背中にまといあちこちで何事か談笑をしている。スペインの人たちはとにかく声が大きいように思う。 普通の会話のようだが、声の大きさは10m先でも十分聞き取れる声量である。だからとにかく姦しい。 カタルーニャ音楽堂を見たあとランプラス通りをぶらぶらしたのちBARで夕食をとりホテルまで地下鉄で帰ってきた。地下鉄の改札でかみさんがスリにあいそうになったがことなきをえた。マドリッドとバルセロナを比べるとバルセロナの方が日本人旅行者にとっては危ない気がする。 明日は市内散策。 ホテルから見える地中海に上る朝日 ビーチの光景 6日目 今日は買い物デーとした。 明日は日曜日のため、おそらく店はデパートを始め多くが休みと思われるので、今日中に必要なものを買い物することとした。 ホテルを出て、かみさんがマジョルカの友人へ送りたいものがあるとのことで日本から送るよりスペインへ持ってきて送るほうが経済的とのことで送る物を中央郵便局まで持って行き発送した。手順がわからないことだらけだったが、何とか送り出すことができた。 その後市場へ行き雑踏の中、色々な食材を売っている店屋を覗いて美味しそうなものを買い求めたり、スペイン唯一のデパートチェーン「エルコルテイングレス」で買い物をしたのち、いったんホテルに戻り少しシエスタしたのちピカソ美術館へいった。 その後、朝方電話でバルセロナ在住の日本人ギタリストS.O氏とお会いする約束のカタルーニャ広場へ向かった。 O氏に6年ぶりに再会し、すぐに近くの料理の美味しいBARにつれていっていただきひとしきり歓談した。バルセロナでの演奏活動や教授生活などいろいろ楽しい話をしたあと、町にでていきライトアップされたさまざまな建物をみて歩いた。 興味ある場所もあったので明日、また出直してこようとも思った。すこし歩いたあとまたBARにておいしいワインを飲みながら歓談し名残おしいけれど1時頃分かれてホテルへ帰った。O氏も日本で活躍して欲しい演奏家の1人である。 明日はサグラダファミリアやグエル公園など散策予定 カタルーニャの日凱旋門での催しポスター BARの店内 7日目 明日は朝から移動のため実質今日が最後の日となる。朝地下鉄に乗りグエル公園まで行き公園をしばらく散策する。 グエル公園は旧市街からすこしはなれた丘(山?)にある。ひときわ異彩をはなっているサグラダファミリアも眼下に見え、バルセロナ市内が一望できる。 公園の中ではいろんな場所場所でギターを演奏したり、フラメンコギターを演奏したり、中国の琴を演奏していたり、その演奏をしばらく立ち止まって聴いていることが非常に楽しい。 特にギターを弾いている人はアルハンブラの思い出や、カタルーニャの民謡や色々な曲を次々演奏しており、傍にいって「私もギターを弾きます」といって爪をみせて、ひとしきりかみさんの通訳で話をした。日本の演奏家は先日のS.O氏の名前は知っているといったので、その人と昨日一緒に飲みましたよと言った後で、「ギターさわらせて」と言ったら「ノー」の答え。商売の邪魔になるとでも思ったのだろうか? その後公園を下り、サグラダファミリアまで徒歩で行った。その後カサミラやカサバリョを見た後、昨日S.O氏に教わった、「タレガが晩年住んでいた住居」とスペイン最大の楽器店「LUTHIER」に行った。もっとも楽器店は日曜で休みだったが・・・。 この楽器店の音楽学校でS.O氏はギターを教えているそうだ。その後カタルーニャ通りやランブラス通りをぶらぶらし、フラメンコの「コルドベス」へ行き22:00のショーを予約し、コロンブスの塔を見ながら徒歩でいったんホテルに戻った。 スペインからの投稿はこれが最後になる。 この後コルドベスでフラメンコをみて夜遅くホテルへ帰り、明日はバルセロナからヘルシンキ経由で関空へ帰国 グエル公園で見かけたギタリスト グエル公園でみかけたフラメンコギタリスト(絶品!) サグラダファミリア ランブラス通りで見かけたパフォーマー 8日目 今、自宅で書いている。前夜22時からのフラメンコタブラオ「コルドベス」に出かけ、フラメンコを鑑賞。バルセロナでは一番のタブラオらしい。 かみさんは感激していたようだが、自分はもっと土着の踊りを期待していたのでショーとして見せる踊りに、うたた寝モードであった。踊りはもちろん一流である。 ショーが終わり深夜周りを警戒するように地下鉄でホテルまで帰ったのだった。(深夜はちょっと怖い・・)14日の朝7時にバルセロナのホテルを出発した。9月のこの時期はサマータイムも終わりに近づく頃で、日の出が遅くなり7時はまだまだ暗い夜道である。 国鉄(Renfe)の駅まで徒歩で行き最後の冒険である。(途中で乗り換えが必要なため首尾よく空港までたどり着けるかどうか??)電車の行き先を確認しながらホームを確認しながら、電車が来たら乗車客に目的駅を通るがどうか聞きながらなんとか空港までたどり着けることができた。 この旅でかみさんは、つたないスペイン語ではあるが、相当自信になったと思う。ちなみに自分は「ポルファボール、セルベッサ、オラ、グラシャス」程度しか言えない。バルセロナの空港からフィンランドヘルシンキ空港で乗り継ぎ、関空へ到着。その後JR、新幹線にて自宅まで戻ってきた。 自宅についたのは15日の13時30分。移動時間は実に23時間30分。しばらくは荷物の整理と時差ぼけの解消に努め、現実に戻り仕事のことを考える必要がある。 しばらく時間がかかるだろうな(^_^;) フラメンコタブラオ コルドベス ヘルシンキ〜関空 機内より翼からもれる朝日 2009年9月7日 〜 9月15日 スペイン道中記 終 by bukky